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真理子さんの人生物語 活躍編 [高村真理子の人生軌道]

理子さんの生物語
躍編



あなたの勇気と希望をありがとう



 
真理子 手話とソングで感情たっぷり
真理子 手話とソングで感情たっぷりに

真理子さんとワイルドザッパーズ公演にて
  写真提供:MMさん 写真編集:鈴木美智子


 
高村真理子さんの活躍の様子を紹介します。



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  1995年に高村真理子さんは難聴者の社会的支援を目的とする社会的企業WE(World Exchange of Silent Cultureの略)を設立しました。真理子さん自身難聴者であったので、同じ仲間である難聴者たちに自信を持たせたいの願いを持ったようです。

  以下は2006年6月3日の真理子さんの学んだCSUN(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校)での真理子さんを偲ぶ会での話から抜擢です。


  

高村真理子さんは本当に多方面にわたって大活躍しました。その活躍の様子をご覧下さい。


All My Loving 高村真理子

障害保健福祉研究情報システムDINFより

真理子さんの手記を読めば真理子さんの活躍するきっかけとなったものがよくわかると思いますので下記の紹介と合わせてぜひともお読みください。


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真理子さんの音楽活動



  また真理子さんの願いのひとつとしてWEの仕事のひとつとしてソウルレインボーでの音楽活動をおこなっていました。

[エリックさん談]

 ソウルレインボーは、ヒップホップダンサーグループです。
彼らは、ミュージックビデオを作成したり、ミュージカルに出るなど、いろいろと活躍していました。


[彼女の人生解説]

 下記のほうで紹介しているワイルドザッパーズの来日公演をきっかけに真理子さんの音楽活動が広がり、聴こえない人たち向けのダンス教室を開いたり、ソウルレインボー活動によって、聴こえない人たちにも音楽の楽しさと喜びを伝えようとしていました。
彼女の情熱には驚くほどです。

ソウルレインボー
ソウルレインボー
真理子さん〈右)
大橋ひろえさん〈左)

[エリックさん談]
 ソウルレインボーは、ヒップホップダンサーグループです。

彼らは、ミュージックビデオを作成したり、ミュージカルに出るなど、いろいろと活躍していました。


[彼女の人生解説]

  下記のほうで紹介しているワイルドザッパーズの来日公演をきっかけに真理子さんの音楽活動が広がり、聴こえない人たち向けのダンス教室を開いたり、ソウルレインボー活動によって、聴こえない人たちにも音楽の楽しさと喜びを伝えようとしていました。

 <余談>

   私が特に印象に残っているのが「翼を下さい」です。やはり真理子さんと同じような年代だからかもしれません。60年代から70年代にかけて多くの若者達が変化を求めてデモがあったり、歌もアメリカからの影響で反戦歌に始まってフォークそしてニューミュージックへと変化していった時代に青春を送った人なら誰もがその「翼を下さい」に共感するかもしれません。その歌は変化を求めたけれども、結局は学歴社会に受験戦争へと若者達の目が向けてしまった、その頃にその歌が流行った。その歌こそが若者達の心境を代弁していたからだけれども、その後の年代の人たちにはやはり理解するのが難しかったように思えました。それでも「翼を下さい」は後に再び若者達の間で歌い継がれるだろうと予感しています。

アメージンググレースを歌う真理子さん
アメージンググレースを歌う真理子さん

[エリックさん談]
 
 真理子は、気持ちを込めて、手話歌をしていますね。
彼女は、何度も手話歌ショーを主催しています。
彼女のステージは、ヒップホップ、手話歌だけでなく、見に来てくれた観客もステージにあがってパフォーマンスを盛り上げます。


[彼女の人生解説]

  真理子さんはソウルレインボーだけでなくフライングハンズのグループ活動やソロでの音楽活動も精力的におこなっていました。

  左の写真は、手話歌ショーの時の写真です。 「アメリカ手話で世界が広がった!」 日貿出版社 2005年刊 より転載


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真理子さんとワイルドザッパーズとの信頼関係



 眞理子さんの人生を語るにワイルドザッパーズを外すことはできません。それほど彼らは固い友情で結ばれていました。

真理子さんとワイルドザッパーズ 京都にて 2004年
真理子さんとワイルドザッパーズ 京都にて
公演合間の京都散策。真理子さんとワイルドザッパーズとの信頼関係がよくわかる写真です。
2004年夏 当時のWEのホームページより

[エリックさん談]
 
[:右:]ワイルドザッパーズ[:左:]は、聾と難聴者から構成されているダンスグループです。彼らは、ヒップホップのみならず、ほかのダンスもします。ワイルドザッパーズは、青年男性グループです。 

  彼らに囲まれている真理子は、背が小さいながらも、彼らと同じ位のエネルギーを持っていました。
ワイルドザッパーズは、年に一回、2回位、日本の劇場で公演をします。

  真理子は、時々、ワイルドザッパーズと出演者、観客のためにパーティを開いていました。また、ダンスを習いたいという、聾、難聴者のために、ワイルドザッパーズと共にダンス教室を開いていました。

真理子さんとワイルドザッパーズ公演
真理子さんとワイルドザッパーズ公演
2004年夏 写真提供:MMさん


[彼女の人生解説]
 
 ワイルドザッパーズ初来日時、チケットの販売が思わしくないと彼女は心配しましたが、いざ蓋を開けてみるとこれが大成功。以来毎年来日公演していますし、NHKでも紹介されています。

真理子さんとワイルドザッパーズ公演後の皆さんと2004年夏
真理子さんとワイルドザッパーズ公演後の皆さんと
2004年夏 当時のWEのホームページより
写真編集:鈴木美智子

   ある聴者の少女からの感想文に黒人を初めて見てびっくりした。
聴こえない人にも音楽ができると知って感動したと少女らしい素直な文で書かれていました。
その後その少女は真理子さん主催のダンス教室にも参加したりしていました。こういうふうに彼女とワイルドザッパーズは硬い友情で結ばれていました。

  彼女はワイルドザッパーズだけでなくバーナード・ブラッグ氏やピーター・クック氏をも招き、公演を実施させています。彼女の心のこもった接待に彼らの信頼をも得ていました。 まだ彼女の企画に対して多く方々からすばらしいの声が多く聞かれました。

ウエストサイド物語公演 2004年夏
ウエストサイド物語公演
2004年夏当時のWEのホームページより

  その企画の中に第4回公演に「ウエストサイドストーリー」を取り入れたことがあります。その物語は肌の違いから来る二つのグループの対決、対決するもの同士の許されぬ恋の物語で有名ですが、そこにも真理子さんの差別に無関心ではいられない想いが伝わります。


エリックさん談和訳;AMさん
人生解説文責:鈴木美智子



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余談ですが・・・



“真理子さんのことを一言で言うなら”



  下記で紹介する真理子さん著の「アメリカ手話で世界が広がった」の表紙に出ている男性がタイロンさんです。タイロンさんは手話ミュージカルの「ビッグリバー」に主役として主演した方で日本公演のため来日したことがあります。その時に真理子さんが通訳を務めたようですが、それでいつも一緒にいる時間が多かったのです。

  そのタイロンさんがCSUN(カリフォルニア州立大学ノースロッジ校)で行われた真理子さんを偲ぶ会で真理子さんへの思い出を語っていく中で最後にこう言ったのです。

「真理子そのものを表現するなら『楽しい人!』の一言に尽きる。」


  そのとき一瞬言葉を途切らせ真理子さんのことを思い浮かべるような表情をしたのが印象的でした。

  その言葉だけでどんなにか日本へ来日したアメリカ聾者たちから愛されたかがわかると思います。






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ワイルドザッパーズ名古屋公演YouTube


  実行委員長[当時)よりの提供にて、ワイルドザッパーズの手話とダンスを披露しているYouTubeを紹介します。上記と合わせてご覧下さい。2002年の名古屋公演です。

響いて ~名古屋WZ公演の舞台裏~STUDIOAYA


  平野さんの話によれば最初はチケットの売れ行きが思わしくなく、実行委員長を務めていた平野さんは大変なストレスの中にいたけれども公演当日になってみると会場満場でしかも公演成功でほっとしたそうです。

  しかしそこで大変なことが起こっていました。その会場の定員350人のところが450人も押し込まれ、100人もの人に断らなければならないという苦い体験をしたのです。チケットを売るよりも断るほうが大変だったということでした。

情報提供:平野千博






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読者提供の写真



  ここよりの写真は横浜在住の方から提供してくださった写真です。

  真理子さんの活躍が偲ばれます。また真理子さんはその写真を提供してくださった方に 温かく思いやるメールを送ったそうです。


横浜での真理子さん横浜のショーにて
真理子さんのダンスグループ「フライングハンズ」(当時)とともに歌いダンスを披露しているところです。
ショーの合間での真理子さん
ショーの合間での真理子さん(中央奥)が白いカーディガンを羽織っているのが見えます。
写真編集:鈴木美智子
Mariko-Yokohama.jpg
真理子さんとワイルドザッパーズメンバーと 横浜にてワイルドザッパーズと真理子さん
皆さんの微笑みが印象的です。横浜にて
写真編集について、個人のプライバシーを配慮するために写真を編集しました。
写真を提供してくださった横浜の方ありがとうございました。



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真理子さんの著書と訳書


  真理子さんは生涯にわたっていくつかの著書と訳書を残しました。




真理子さん著 アメリカ手話留学記 1993年真理子さんの最初の著書
「アメリカ手話留学記」
径書房 1993年 東京
高村真理子著
『アメリカ手話で世界が広がった!』
日貿出版、2005年 東京
向かって左側の男性がタイロンさん
真理子さん著 アメリカ手話で世界が広がった
真理子さん訳書 ベーシックアメリカ手話 1996年高村真理子訳書
 ベン・バーハン、ジョー・デニス
『ベーシック・アメリカ手話』
径書房、1996年 東京
ダフネ・グレイ著
『ミス・アメリカは聞こえない』
径書房、2000年 東京
真理子さん訳書 ミス・アメリカは聞こえない
真理子さんのサイン 真理子さんのサイン
著書ではありませんが、真理子さんはサインするときに必ずI love youの絵文字のほかに「やってできないものはない。やればできる」的意味の英文を入れていました。いつも人を励ます真理子さんらしさがよく出ています。






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  いよいよ最後の締めくくりとして真理子さんが筑波技術大学で英語の非常講師をしていた時の上司であった松藤みどりさんからの提供を紹介します。


筑波技術大学での真理子さん


さあ真理子さんの活躍をご覧下さい。


照れ笑いの真理子さん
照れ笑いの真理子さん

  この写真は、今、仕上げにかかっているDVD日米手話辞典のために撮影したビデオから起こし、今、高村先生の机の上に飾っているものです。

  「アメリカ手話で世界が広がった」のときと同じお気に入りの服装でしたが、手話モデルとしては見にくいので、結局ボツにして撮り直しました。

聾ケニア人の通訳する真理子さん
ケニア人聾者のニクソンさんの講演を通訳する真理子さん

  日本財団の招きで来日したケニア人の聾者、ニクソン・カキリさんが 筑波技術短期大学に来たとき講演の通訳をしているところです。

聾狂言の楽屋で通訳する真理子さん
聾狂言の楽屋で通訳する真理子さん

  昨年5月末に来日したNTIDの学生を日本聾者劇団の手話狂言に案内したとき、狂言鑑賞後、楽屋で井崎哲也さんの解説をASLで説明しているところです。

  真理子さんの仕事をしている写真や説明などの情報を提供してくださった松藤みどりさんありがとうございました。

写真提供と説明: 松藤みどりさん 筑波技術大学






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最後に


  筑波技術大学の講師になってからの真理子さんのますますの活躍には目を見張るものがあります。
非常講師としてでの仕事のみに留まらずいろいろな提案をしてそれを実行に移したりしたのです。例えばダンス指導しかも単に身体を動かしたりするだけでなくショーでの創作する方法をも教えたりしたのです。他にも学生を引き連れてのアメリカツアーなどで学生達に自分で考える力を身につけられるよう指導したりもしたのです。

  
一言で言えば創造性に富んでいたということでしょう


そして下記のCSUNでの偲ぶ会での真理子さんからの信頼を得ていたケビンの言葉で締めくくりたいと思います。


  「真理子は僕達に種を残した。そのまいた種につぼみをつかせ大きく花を咲かせることが残された僕達にできることである。」

  ケビンの言うとおり真理子さんが残した種に花を開かせそれを大きく羽ばたかせることが真理子さんへの供養となると思います。ちなみにケビンは私が留学時の12年間ルームメイトだった人です。

  真理子さん心配しないでね。私たちはきっと大きく花を開かせるから。安心して私を見守ってね。そしてありがとう。







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