高村真理子記念館 トップページ [高村真理子紹介]
高村真理子さんは2006年5月3日(ロサンゼルス時間)に癌のため48歳の生涯を閉じました。
病院でその最後に立ち会いましたが、その最後はとても感動的なものでした。その感動的な最後を皆さんにも分け与えたくブログを立ち上げました。
高村さんは自分が癌であることを隠し、多くの難聴者達に生きる希望と喜びを与え続けました。写真のようにいつもすてきな大きな笑顔を浮かべ、高村さんに接する人たちを大きく励まし温かく抱きしめるなどまるで母親のような大きな愛で周りの人たちを包み込んでいました。
写真提供:MMさん |
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高村真理子さんのことを知らない方のために少し高村さんのことを紹介したいと思います。
高村真理子さんは難聴者で普通の学校で育ちましたが、大学、社会で初めて差別を受け、悩み、自信を失いかけたときにある時電車の中で新聞にアメリカのロス郊外にあるカリフォルニア州立大学ノースリッジ校を卒業した富川哲司という聾の男性のことが紹介されていました。その大学では聾・難聴学生への充実したサービスがあることが書かれていました。
高村さんはその記事を読んだとき「それだ!」と思わず席から立ち上がったほどでした。そして留学を決意し、留学しました。そこで初めて「自分は難聴でもいいんだ」と思えるようになり、のびのびと留学生活を送りました。帰国後朝日新聞の英語新聞の方で働きますが、1993年に出版した「アメリカ手話留学記」がきっかけで新聞社を退社して様々な分野で活動しました。
その高村さんの生きた証し、たどってきた人生を順次紹介します。その人生、高村さんの心に触れることで皆さんが大きな笑顔を持ち、生きる希望と喜びを持てればこれほど嬉しいことはありませんし、それが高村真理子さんの願いを引き継ぐことであり、きっと高村さんも喜んでくださると思います。その物語を近いうちに書きますのでどうぞお楽しみにしてください。
なおその「高村真理子記念館」を最初に作成するに当たって協力してくださった方々に改めてお礼申し上げます。許されるならその方々の名前を記載したく思います。