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高村真理子記念館

あなたの素敵な笑顔をありがとう

初めに

 
  高村真理子さんは2006年5月3日(ロサンゼルス時間)に癌のため48歳の生涯を閉じました。

病院でその最後に立ち会いましたが、その最後はとても感動的なものでした。その感動的な最後を皆さんにも分け与えたくブログを立ち上げました。

   高村さんは自分が癌であることを隠し、多くの難聴者達に生きる希望と喜びを与え続けました。写真のようにいつもすてきな大きな笑顔を浮かべ、高村さんに接する人たちを大きく励まし温かく抱きしめるなどまるで母親のような大きな愛で周りの人たちを包み込んでいました。


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写真提供:MMさん

高村真理子プロフィール
宮城県仙台市にて1958年3月1日に誕生す

幼きときに聾となる 恐らくストレプトマイシン注射が原因と思われる

聾学校へ通わずミッションスクールで小学から高校まで学ぶ

高校卒業後大学に入学

大学で栄養士の資格を獲得後2年間病院に勤務す

1984年にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校の大学院の健康科学を2年間学ぶ

帰国後、朝日英字新聞社、次に広告代理店に勤務 その後退職

また帰国から2年後、CSUNで知り合ったエリック・ウオルトンさんと結婚して一児をもうける

1993年に「アメリカ手話留学記」を出版 それによって多くの難聴者が励まされた

1995年に World Exchange of cultures project (WE)という会社を設立

1995年に初めての聾・難聴者のためのロサンゼルスツアーを企画して成功を収める

その後毎年ツアーを組む

その後筑波技術短大(現在の筑波技術大学)で非常講師として英語を教える傍ら三田の障害者福祉会館でアメリカ手話指導など幅広く活動

インドネシアをはじめ東南アジアへ出向き手話やダンスなどを指導

特にインドネシアでの手話によるチャリティショーが成功を収め、多くの聾児たちを支える

そのほかに「ソウルレインボウ」などの手話ダンスユニットを立ち上げたり、アメリカの黒人ダンスグループ「ワイルドザッパーズ」の手話ダンスショーを日本で実行。成功を収める

2006年5月3日(ロサンゼルス時間)に彼女の愛したロスにで癌のため人生を終える 享年48歳



  高村真理子さんのことを知らない方のために少し高村さんのことを紹介したいと思います。

高村真理子さんは難聴者で普通の学校で育ちましたが、大学、社会で初めて差別を受け、悩み、自信を失いかけたときにある時電車の中で新聞にアメリカのロス郊外にあるカリフォルニア州立大学ノースリッジ校を卒業した富川哲司という聾の男性のことが紹介されていました。その大学では聾・難聴学生への充実したサービスがあることが書かれていました。

  高村さんはその記事を読んだとき「それだ!」と思わず席から立ち上がったほどでした。そして留学を決意し、留学しました。そこで初めて「自分は難聴でもいいんだ」と思えるようになり、のびのびと留学生活を送りました。帰国後朝日新聞の英語新聞の方で働きますが、1993年に出版した「アメリカ手話留学記」がきっかけで新聞社を退社して様々な分野で活動しました。

  その高村さんの生きた証し、たどってきた人生を順次紹介します。その人生、高村さんの心に触れることで皆さんが大きな笑顔を持ち、生きる希望と喜びを持てればこれほど嬉しいことはありませんし、それが高村真理子さんの願いを引き継ぐことであり、きっと高村さんも喜んでくださると思います。その物語を近いうちに書きますのでどうぞお楽しみにしてください。

  なおその「高村真理子記念館」を最初に作成するに当たって協力してくださった方々に改めてお礼申し上げます。許されるならその方々の名前を記載したく思います。


情報提供及び写真提供してくださった方々に感謝申し上げます。

松藤みどり(筑波技術大学講師)

エリック・ウオルトン(高村真理子さんのご主人)

「ゆうゆうゆう」ホームページより

マタハリク(インドネシアでのグループ名)

マタハリクとの連絡の橋渡しをしてくださった方

NK

AS

MM

ウエブページを翻訳の協力者たちにも感謝申し上げます。


文責 鈴木美智子 2014年12月28日(日)


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